マスターの思い出

HOME > コンテンツ > マスターの思い出

マスターの思い出

当店でのブレンドはマスターのこだわりの配合で自信を持って提供していますが、そのブレンドをベースにお客様の好みに合わせてオリジナルブレンドを作る事を行っています。
これは珈琲は嗜好品なので個人の好みが正解であるという考えがあるからです。
お客様用のブレンドのレシピを作りたいという思いはには修行時代の働いていたお店の影響が大きく、私の師匠はブレンドに強いこだわりがあり季節や入荷した豆の状態でこまめに調整を繰り返すやり方で美味しいブレンドの基準はあっても正解を作らない仕事をなさっていましたので、ブレンドにどう足し引きすればどの様な味になるか学ぶことができました。
その経験を活かして当店の珈琲を美味しいと思っていただけたお客様に個々のこだわりと好みにより迫ったブレンドを提供したいと思っているからです。

自分でアルバイトなどをしてお金を稼ぐ様になった頃には、今程は遊興施設やチェーン店が無く友人と集まると言えは個人経営店がほとんどでした。
幼い頃は喫茶店は不良学生の行く所などとイメージした時代もあったのですが、いざ自分が行く頃には居心地も良く友人達と入り浸っていました。
周りを見ればサラリーマンが昼食をとり、昼食時が過ぎれば主婦の方が家事の隙間にひと息ついて学生連中が遊ぶ計画をねり、
夕方頃は近所のご隠居様方が1日の終わりにのんびりと珈琲を楽しむ。
喫茶店の珈琲は当時1杯250円前後だったのであらゆる世代の人が良くも悪くも忙しい日々の隙間に1杯の珈琲を楽しめる、その様なゆったりとした空間がある事に浪漫を感じていました。
そんな思い出があったので当店は開店当初珈琲1杯300円でした、この値段は30年珈琲豆の卸売り業を続けその事業を息子に継がせたから出来る贅沢ですが、コロナ禍後の物価高騰の時期に常連の方に「潰れられても困るからそろそろ値上げやな」と言ってくださったので今は350円です、もう少し体の動く内は自分の中の浪漫ある場所を守れたら良いなと思います。

師匠のお店で私の修行場は主にキッチンの中でした。珈琲の点て方の基礎を仕込んでもらった後は繰り返し点てる日々でしたが勿論それだけではありません、2人いたコックの方にフライパンの振り方や包丁の研ぎ方といった基礎から軽食の作り方まで多くの事を学びました。お客様から返ってくる珈琲カップが空になる事が増えて自信を覚えたり、少し良い食材を仕入れた時に、師匠にはナイショでコックさんと賄い飯にして3人で楽しんだ事などは良い思い出です。

師匠の店舗は喫茶レストランと言える店舗でした。
40席で厨房にコック2人とオーナー、フロア2人とレジ1人で運営していました、当時はファミリーレストランなどは余り無かったので、レストランと喫茶店の中間位の役割持つ店も珍しくはありませんでした。
手間の掛かるシチュー類やウイスキー等のお酒も出しており、シェイカーの振り方を含めカクテルの基礎も修行時代に身に付けたものです、師匠には多く学びましたがやはり人を差配するオーナーより、ゆっくりとお客様と触れ合える喫茶店のマスターの方が性に合うと思い今の「ラ・ストラーダ」になったのだと思います。

当時のお店では夏場には大きな寸胴鍋でアイスコーヒーを仕込むのが日課でした。
寸胴鍋に大きなネルドリップ用の布フィルターをセットし抽出するのですがコーヒーに極少量の微粉末が混じってしまうのが悩みでした。味が変わらない用に工夫していたのですがどうしても納得出来ていない師匠に、「布フィルターに紙フィルターを重ねて二重にしてはいけないのか?」と尋ねると「それでは抽出速度が変わり味も変わる。」と言われたので「それ用にコーヒー自体を調整しては?」と意見を出せば一言「ああ」と言い焙煎屋と話し新しいブレンドを作ってしまいました。こだわりが強く妥協しない人でしたが、目標のためにあっさりブレンドを作り直す軽やかさは見習うべき姿だと今も思います。

40年ほど前に珈琲のたて方を仕込んで貰いましたが、基本的なものを教えを受けてからは毎日ジュースや軽食を作る合間に10杯用のネルドリップで1キロの豆を使用するのが訓練でした。これは喫茶店を経営する上で効率良く店を回すのに必要なスキルでした。珈琲を点てて2人で一口づつ飲んでは捨てる日々でしたが、1月程経って当時のチーフに「彼の珈琲をお客様に出して良いよ。」と言っていただけた時は感激しました。今思えば素人に毎日1キロ豆を消費させるなんて凄く贅沢な教えですよね。また当時ネルドリップが主流だったことも時代を感じます。

ラ・ストラーダOST珈琲直営店

〒630-1104 奈良県奈良市狭川両町800-2